鳥人間コンテストの事故で障害者になった女性の末路…
まさにサイコパスだと話題に…
鳥人間コンテストの事故で障害者になった女性!
2007年7月29日、読売テレビ主催の
『第31回鳥人間コンテスト』に出場した川畑明菜さんは
人力飛行機で滑走中に左主翼が折れ曲がり約10メートルの高さから落下。
その衝撃が原因で脳脊髄液減少症という後遺症を患うことになりました。
脳脊髄液減少症とは
脳脊髄液が漏れてしまうことが原因で
頭痛やめまいや耳鳴りなどの症状が起こる疾患。
川畑さんの場合は日常生活もままならないほどで
地獄のような6年間を過ごしてきたそうです。
そんな彼女が2013年4月、
読売テレビと当時籍を置いていた九州工業大学、
人力飛行機を制作したサークルの顧問、
リーダーや設計責任者や政策責任者などの幹部学生らを相手取り、
4305万8800円の支払いを求める裁判を起こしました。
第一回口頭弁論は6月14日に行われた。
彼女が出場した『鳥人間コンテスト』は
読売テレビが1977年から始めたもので人力飛行機の滞空時間や飛行距離を競う大会。
川畑さんは九州工業大学のサークル『KITCUTS』の操縦士として参加。
人力飛行機の製作は約1年前から準備されていたが、
彼女は操縦士として1日40~80キロを自転車で走るなどの
別メニューをこなしていたという。
「今考えれば、とても人を乗せて飛ばせる機体ではなかったのでしょう。
大会に間に合わせるために十分な飛行試験も行われず、
荷重試験もできていませんでしたから……。事故直後は『あっ、飛んだのかな』と思った瞬間、機体から放り出されました。
湖面に落ちたとき、全身に激痛が走ったのを覚えています」
救助隊に助けられた川畑さんはメディカルチェックを受けたが、
外傷もなかったため福岡県へ帰された。
だが翌日から急激なめまいに襲われ、
歩くこともままならない。
症状は次第に悪化し、ついには寝たきりのような状態に。
同年10月、脳脊髄液減少症の診断を受け入院。
だがこの疾患はまだ解明されていないことも多く、
治療は困難を極めたそうです。
「トイレに行くのも精一杯。間に合わなくて泣いてしまうこともありました……。
退院後も症状は改善せず、
車椅子や松葉杖での通院生活が続きました。いつもなら10分ほどしかかからなかった通学も1時間近くかかりました。
校内で倒れたこともありました。何とか大学は卒業できたものの、
大学院に進むために貯めていた200万円は
治療のためあっという間になくなってしまいました……」
東京に来たころは
1日に4時間ほどしか動けなかったという川畑さんだが、
現在は治療の効果が現れ、
1日8時間ほど動けるようになってきたという。
そこで彼女は
「前を向いて生きていくために事故のことをはっきりさせたい」
と思い、提訴に踏み切ったと語っています。
彼女の言い分だけを聞くと
提訴も致し方ないことなのかと思ってしまいますが、
後日判明した事実に批判が殺到しました。