無人島で「女性1人男性32人」で6年間過ごしたと言います。
共同生活の中、男性たちは1人の女性のために争いをしました…。
アナタハンの女王事件
アナタハンの女王事件は、第二次世界大戦末期の出来事。
サイパン島の北方約117キロに、アナタハン島があります。
1945年当時、北マリアナ諸島に属する島での事件。
この島は、日本の委任統治領で、東西の長さ約9キロ・幅3.7キロの小島です。
まさに、太平洋に浮かぶ孤島・アナタハン島での出来事です。
終戦間近の昭和19年(1944年)、日本企業「南洋興発」が進出していました。
ヤシ林を経営していたのです。
比嘉正一さんは、南洋興発の社員として妻の比嘉和子(ひか かずこ)(当時24歳)さんと、
アナタハン島に住んでいました。
▼アナタハンの女王事件とは
この島の32人の男と1人の女が共同生活をし、男性達がその女性を奪うように争って、男性が次々に殺害されたりで行方不明になった事件です。 出典:wikipedia
そのアナタハンの女王事件の主要人物の、比嘉和子さんの悲劇は、ここから始まっていきます…。
比嘉和子さんに悲劇が…
▼比嘉和子さんの写真
和子さんの夫は、パガン島にいるはずの妹が心配になり島を出ていきました。
和子さんの夫は、その後、消息不明に…。
比嘉和子さんは、ご主人である正一さんの仕事上の上司である中里さんと、
アナタハン島に取り残される形となりました。
そして、アナタハン島は、米軍の空襲を受けましたが、命だけは何とか助かりました。
昭和19年(1944年)6月12日、アナタハン島の近海を、日本のカツオ漁船群が航海していたところを、
米軍が攻撃しました。
乗組員はアナタハン島に辿り着く
カツオ漁船は、3隻が沈没、1隻が大破。 乗組員たちは何とか脱出しました。
漁船4隻分、合計31人の男が、アナタハン島に辿り着いたのです。
島からは、原住民が全て逃げ出してしまい、アナタハン島には日本人だけが残った状況になりました。
この島に残っている女性は比嘉和子さんが、ただ1人。 そして男は32人です。
それから、残酷な運命が待ち受けていました。
昭和21年8月、墜落した米軍機の残骸を発見。
その機体の残骸から缶詰や、生活に役立ちそうなものを見つけると同時に、
男たちは拳銃4丁と、実弾70発を見つけたのです。
一人の女性を巡り、殺し合いとも呼べる状況が起こりました。
5年が経って、32人いた男たちは、19人になっていました。
「争いいに終止符を打つため」
残った男たちが会議を開き、結論は…
「和子を処刑する。」
となりました。
逃亡する比嘉和子さん
和子さんがいるから争いが起きてしまうと言うことでした。
明日、和子さんを殺そうという時…
1人の男が和子の小屋を訪ね
「逃げろ。殺される。」
と伝えたのです。
和子さんは、ジャングルに逃げ込みました。
逃亡生活に入って、33日後、1950年6月に、アメリカ船が沖をいるのを発見し、
懸命に救助を求めました。
比嘉和子さんは、アメリカ船によって救助されたのです。
アナタハン島での生活は6年間でした。
この後、和子さんは、有名人になりました。
男をたぶらかした悪女のような報道もありました。
沖縄で「カフェ・アナタハン」を開きましたが、
沖縄には居づらく一度、沖縄から出て行くまでになりました。
東京で、しばらくストリッパーをやっていたそうです。
色々なご苦労を経験し、再び沖縄へ帰り、34歳で再婚。
ご主人と、たこ焼き・かき氷の店を切り盛りし、繁盛しましたが、
平穏な生活を取り戻したのは、僅かな期間でした。
比嘉和子さんが40代半ばの時、ご主人がご逝去され、
和子さんも49歳で脳腫瘍を患い、その波乱の人生は幕を閉じたのです。
アナタハン島で、行方不明になった男は13人です。
ネットの声
・「数奇な運命の女性だな」
・「男を魅了するなにかがあったんだろう」
・「男女の友情はないな…。」
・「戦争と飢餓、男性同士の争い、凄まじいな!」
・「1人の女性の取り合いは凄まじい」
・「自分のせいで、男が殺し合ったんだからなぁ」
・「男性たちは『自分たちのせい!』と思わないのか?」
アナタハンの女王事件とは、一人の女性を巡り、
男の意地や独占欲が絡み合い、13人の男が命を落とした事件でした。